情報は城攻めしたときのもになります。
ご参考までに。

圧倒される石垣。ほかにもすごいけど、石垣。
2023年12月13日
明知鉄道 岩村駅より徒歩20分
スタンプ 岩村歴史資料館 (詳しくはこちら)
4月から11月 9:00~17:00 12月から3月 9:30~16:00
休館日:月曜日(祭日と重なった場合は翌日)、年末年始
御城印 岩村まち並みふれあいの舘
9:00~16:00 休館日:月曜日、年末年始
半分、青い。ロケ地、勝川家、柴田家など、極楽駅
カステラ、五平餅、かんから餅
岩村城の歴史
1185 年、源頼朝の家臣 加藤景廉が遠山荘の地頭となり、景廉の長男景朝が 岩村城を築いた。
戦国時代末期、城主の遠山景任が病没し、養子として迎えていた織田信長の五男 御坊丸がまだ幼少であったため、その夫人のおつやの方(織田信長の叔母)が実質的な城主(女城主)として、領地を治めた。
1572 年、武田信玄の 家臣 秋山虎繁(信友)が侵攻してきた。 女城主は自ら采配を振るい、信長の支援を待って籠城作戦に出たが、城内の食糧も不足して来たころ、虎繁からの女城主を妻とすることが条件の無血開城を受け入れた。しかし信長は黙っておらず、
1575 年、長篠の戦いに武田勝頼軍が敗戦したことにより、織田軍が攻め入った。この時も籠城で城を守っていたが、領民を守り、女城主と虎繁の命を守るという条件で開城。しかし、信長はこれを反故にし、夫妻は磔刑に処された。
江戸時代には松平氏の居城となりますが、明治の廃城令で解体された。城とは別に残された藩主邸も1881(明治14)年に火災により失われた。
岩村城の城攻め記録
5:13 恵那
高速バス停。
真っ暗です。星がとても良く見えます。
北斗七星から北極星も見つけたりして。
とりあえず、セブンイレブン寄りつつ駅へ。
5:50 恵那駅
真っ暗でよく見えないが、駅前トイレは2つあり駅の左端と右端。
右端(観光案内所の並び)の方しか行きませんでしたが、きれいで使いやすかったです。ちなみに明智鉄道の待合室にもトイレはあります。
6:43 発
7:12 岩村駅
まだお店は開いてないため、お城に直行。
電車の中で雲海を初めて見ましたが、お城周りは霧すら晴れてました。
途中、下町枡形や高札所などもあり城下町を堪能。
半分、青い。のロケ地もとおり、常灯籠を曲がります。(グーグル先生のとおりに行くのは車道のようです)
7:43 資料館
まだ開いていないので、写真だけ。
石垣は昔のままかな。。素敵です。
7:50 初門
いよいよお城。
ただかなり整備されているので、歩きやすいです。
ここで天守まであと600m地点。標高は500m。
山城ではありますが、歩く体感はあまり山じゃないです。
最初の300mくらいが急なので少し大変なので、ここはゆっくり登っていくのが良いでしょう。
8:00 一の門
石垣が出てくる。すでに立派。
見惚れる。
またいまは切られてしまっているが、大木の根が石垣にいくつも見える。これが全盛期のころを想像すると、さらにこの場所の威圧感すごいなぁと思える。
8:07 土岐門
ここから少し山道風。
ここの石垣もほんとすごい。
これでもかってくらい石垣が出てくる。
ロープ張っているので、その先を見るとかなり深くて、山なんだなと実感させられる。
8:18 追手門・三重櫓
抜けると舗装された道。
歩きやすいのはありがたいけど、こんなに素敵な石垣があるのだからもうすこし山を残しても良かったのでは、、と思える。
8:22 霧ヶ井
別名の霧ヶ城の由来になったという井戸。
蛇骨を投げ入れると、霧で包まれたという。
蛇骨は虫干ししていたとのことなので、言い伝えっていうわけでもないのだなと思う。保管場所跡を噛み締めてくればよかったと帰りに後悔した。
8:28 霧ヶ城龍神社(八幡神社)
神社はいまでも祀られています。八幡神社の跡にあるっぽい?ただ迷う。
参道ぽいところは崖すれすれなので、脇には出るが石段を上がるのが良いのだろう。
この石段たどり着くのも道迷うけど。
8:32 菱櫓
菱櫓看板の眼の前が菱櫓跡なのですね。
この看板に来ると、見えてしまっている6段の石垣が気になってしまいますね。
急に見えてあの圧倒感は、攻めててもやる気をなくさせられる。
8:35 6段の石垣
これはほんとにすごい。
きれいに残ってて、そして6段。
圧倒感。
高石垣だったのが、崩れないよう少しずつ前に石段を作っていった結果とのことだが、いや、素敵。
そしてこの本丸へ向かう階段。
この感じも良いし、上がってからの門構え。
いまは門はないのだが、門があっただろう感は城。
8:38 長局埋門
この石垣に挟まれている門。
ワクワクします。
はじめここから右へ行ってしまいましたが、ほんとは左でしょうね。
この食い違い虎口感はもう城。
左に行っても、入り口は城ですが。
この整備された階段、普通に登れる人いるのでしょうか。私だけかな。手も使って登りましたが。
8:41 本丸
来ましたね。本丸。さすが広いですね。
信長が滞在していた場所や昇竜の井戸。
100円で岩村城の歴史が聞ける音声案内があります。
見晴らしとしてはっっさすがに遠くはよく見えますが、下は見えにくいですね。お城が広いので、単独で頂上にある感じではないからでしょう。
それより石垣がありながらも、下にまだ道もある。
8:55 南曲輪
急に山の中。
御殿跡とのことだが、山の中。
少し行ってみると堀切がある。更に行くともう少し大きな堀切。ここらへんはロープが張ってあるが、落ちたらかなり深いところまで行ってしまいそうな山を実感できる場所。
多分行っちゃいけないと思う。
9:07 出丸
出丸にお手洗いあり。
休憩スペースもあります。ここにお城の地図とかもあるので、先に行ったほうが良かったのか。。。
出世の鐘があり、鳴らしてみる。かなり大きな音がなります。
3兄弟らしく、それぞれ違った効能のようなので行ってみたいなぁと思いました。
ここにくるとき、上から音声案内のような声が聞こえてきたので、誰か聞いていたのでしょうか。。おこぼれに預かりました。
また本丸に向かい、誰もいなかったのもあったのか、昔へ思いを馳せてました。
不思議な空間だなと実感しつつ、技術の素晴らしさとかここにはほんとに住んでいたんだよな。なんて。信長ってほんとにいるんだよなぁとか。500年前なのに実在するってわかることは、すごいことだよなぁなんて。森蘭丸も城主になってたり。
昔を実感できるお城。すごいですね。
帰らなければならないのはわかっているが、なんだか離れ難い。6段の石垣前でも佇んだのに、もう一度門まで上がってみたり。
素敵なお城です。
私の100城目にこんな素晴らしいお城を攻められて光栄です。
6段の石垣前を行ったり来たり。
ここで注意ですが、この石垣に見とれながらうしろへ下がると危険です! 道幅が十分広いわけでなく、その向こうはかなりの断崖なので足元見つつ見惚れましょう。
何度もウロウロしましたが、意を決して降りることに。
降りようと思ったら、行ってないところ見つけて寄る。(菱櫓沿いにある6段の石垣横へ続く道)
ここ行ったほうがいい。
6っ段の石垣も間近で、普通に石垣が間近。
良き道でした。
そして、振り返りつつ帰る。
どの石垣も素晴らしいし、ここ山の中なんだよなと思いながら降りる。
10:04 資料館
スタンプを押し、入ったほうが良いかなと思い入る。
結構面白い。
本物も多くて面白い。
時間があればなぁ。20分で退館。
御城印はまた別のところ。
お店も開いていて、武家屋敷??も入れる。
ちょっと入ったが、時間が。。
結局走る。3大山城あるある。帰り道走る。
10:45 岩村駅
極楽行きの硬券を買うが、窓口で大声だしても聞き取ってもらえず、、
恵那駅では差額を払っておろしてもらえました。
岩村城、素敵すぎた。
また行きたいなぁ。。
朝だし、標高高いしでずっと寒かったです。耳もげるかと思った
なんといっても6段の石垣に圧倒される。
それまでも石垣や城としての遺構が素晴らしいけど、もう本丸が素晴らしすぎる。
方向変えても石垣高くて素晴らしいし、景色も素晴らしい。
私の100城目に素晴らしいお城に行けた。
名物、名産
*カステラ
*五平餅
苗木城の帰りに食べたので、そちらに記載します。
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